情報 / Data
出生名 | エドワード・ジェームス・ハウス・ジュニア |
生まれ | 1902年3月21日米国ミシシッピ州ライオン |
死亡 | 1988年10月19日(86歳)ミシガン州デトロイト |
ジャンル | デルタブルース |
職業 | 音楽家 |
楽器 | ギター、ボーカル |
活動期間 | 1930〜1943、1964〜1974 |
レーベル | パラマウント、コロンビア |
特徴 / Feature
- 激しいスライドギターテクニックと非常に感情的でパワフルなボーカル
- スティール製ナショナルリゾネーターギターを使用
- デルタブルースのレジェンド(チャーリー・パットンと活動し、ロバート・ジョンソンやマディー・ウォータースへギターを教えた
- 若い時はブルースを悪魔扱いにしていた教会の牧師
略歴 / Biography
若年期
1902年3月21日クラークスデールの北でにあるリヨン(Lyon, Mississippi)の小さな集落のプランテーションでエドワード・ジェームス・ハウス・ジュニア(Eddie James House Jr.)として3人兄弟の次男として生まれました。
父(Eddie House Sr.)はホルン奏者でバプテスト教会の執事もしていました。母親は世俗音楽を子供達が聞くのを許しませんでした。8歳になるまでに両親は別れ、母親とルイジアナ州タルラ(Tallulah, Louisiana)に移り住み、10代半ばまでにはニューオリンズ州アルジェ(Algiers, New Orleans)に定住しました。
ハウスは最初教会に傾倒しました。先ずはゴスペル歌手から始まり、アルジェにいる15歳のときに教会での説教を始めました。19歳の時結婚して一度教会を離れ離婚後様々な仕事をした後、20代前半にリヨン近郊のバプテスト教会、後にカラードメソジストエピスコパル教会の牧師となりました。しかし、酒に女に溺れていきます。
1927年25歳の時、クラークスデール南の集落マットソン(mattson, mississippi)辺りで地元ブルースマンのウィリー・ウィルソン(Willie Wilson)もしくはジェームズ・マッコイ(James McCoy)のどちらかがスライドギターを弾いているのを見てその音の虜になりました。当時ミシシッピの住民は教会以外で演奏している人々を「悪魔と結束している」とみなしていて、ハウスは教会の義務と邪悪なブルースへの思いにあがき結局教会を去りました。
活動前期
ハウスは直ぐにギターを買い練習しました。数週間後にはウィルソンとマッコイ、フランク・ホスキンズと演奏し始めました。間もなく、独自のスライドギタースタイルと教会で影響を受けたボーカルで頭角を現しました。
1928年(26歳)、公衆の場で演奏するようになって間もなく、ジュークジョイントで演奏していたとき酔っぱらった観客が銃を撃ちだしました。ハウスは防衛のため相手の足を撃ったが殺してしまいました。そのため、15年の懲役刑を受けパーチマンファーム刑務所に服役しました。1929年頃、早期釈放が認められ約2年で刑期を終えました。
釈放されたハウスはクラークスデールから追放され、ルート61号を北上してトゥニカ郡の小さな町ルーラ(Lula, Mississippi)に向かいました。そこは、カントリーブルースの巨人チャーリー・パットン(Charley Patton)の本拠地でした。パットンは当時、偶然にも音楽パートナーのウィリー・ブラウン(Willie Brown)と一緒に住んで演奏していました。間もなく彼らは親しくなりパフォーマンスパートナーとなりました。
レコーディング
1930年(28歳)、パラマウントレコードがパットンにウィスコンシン州グラフトン(Grafton, Wisconsin)でのレコーディングセッションを依頼したとき、パットンはハウス、ブラウンとピアニストのルイーズ・ジョンソンを連れていきました。5月28日、ハウスはそこでナショナルリゾネーターギターのみでデルタブルースの傑作曲、”Preachin’ the Blues”、”My Black Mama”を含む9曲を初収録しました。
同年、ハウスはノースデルタの小さな町ロビンソンビル(Robinsonville, Mississippi)に引越しました。そこで、ハウスの演奏を聴きに来るハーモニカ奏者のロバート・ジョンソンと出会いました。ジョンソンはハウスのギターに夢中になりハーモニカからギターに切り替えました。その後、ハウスはジョンソンの上達ぶりに驚き「彼はそのようにプレーするために彼の魂を悪魔に売った」と述べていると言われています。
活動後期
1934年、チャーリー・パットンが亡くなるとブラウンと演奏は続けていましたが目立った音楽活動はしなくなり、エヴィ・ゴフ(Evie Goff)と結婚しレイク・コーモラント(Lake Cormorant, Mississippi)地域でトラクターの運転をして家族を養い暮らしていました。
1941年(39歳)と1942年(40歳)、民族音楽学者のアラン・ローマックスが米国議会図書館のためにブラウンらと “Walking Blues”、“Special Rider Blues”、“The Pony Blues”、“The Jinx Blues”などを収録しました。
1943年(41歳)、ハウスはミシシッピでの生活苦から逃れるためニューヨークのロチェスター(Rochester, New York)へ引越し、ニューヨークセントラル鉄道等で仕事を得ました。1951年、ブラウンを呼び寄せました。しかし、一緒に来たガールフレンドと喧嘩別れをしホームシックになり帰郷してしまいました。その後、1952年(50歳)にブラウンの訃報を聞き、ギターを辞めてしまいました。
再発見
1964年(62歳)、ブルース研究家のディック・ウォーターマンらがロチェスターで鉄道の仕事をしていたハウスを探し当てました。何年もの間ギターを弾いていなっかったハウスの感覚を復活させるため、アラン・ウィルソン(Alan Wilson)は1930年と1942年に録音した曲を演奏して手助けをしました。その結果、1965年(63歳)にコロムビアレコードより”The Legendary Son House: Father of the Delta Blues”をリリースしました。数年間色々なブルースフェスティバルや大学で演奏を続け、ブッカー「ブッカ」ホワイトやスキップジェイムスを含む他の再発見されたデルタブルースアーティストと一緒にヨーロッパをツアーしました。1976年(74歳)にモンローアベニューのジェネシーコープで最後のコンサートを行うまで活動しました。
70年代初めよりアルツハイマー病とパーキンソン病の両方に苦しんでいたハウスは引退後、妻と親戚のいるデトロイト(Detroit, Michigan)へ引っ越しました。そして1988年10月19日に喉頭癌によって引き起こされた合併症により睡眠中に86歳で亡くなりました。デトロイトにあるマウントヘイゼル墓地に埋葬されています。
ゆかりの地 / Land related to
①リヨンLyon, Mississippi
生まれた場所
②タルラTallulah, Louisiana
8歳の頃住んでいた場所
③アルジェ(Algiers, New Orleans)
10歳半ば頃住んでいた場所
④マットソン(mattson, mississippi)
スライドギターの音に衝撃を受けた場所
⑤パーチマンファーム刑務所
服役していた場所
⑥ルーラ(Lula, Mississippi)
チャーリー・パットンらと組んだ場所
⑦グラフトン(Grafton, Wisconsin)
初のレコーディングをした場所(パラマウントレコード)
⑧ロビンソンビル(Robinsonville, Mississippi)
ロバート・ジョンソンと出会った場所
⑨レイク・コーモラント(Lake Cormorant, Mississippi)
エヴィ・ゴフと結婚し最初に暮らした場所
⑩ロチェスター(Rochester, New York)
ミシシッピを離れ住んだ場所
⑪デトロイト(Detroit, Michigan)
療養のため移り住んで亡くなった場所
⑫マウント・ヘイゼル墓地
関係する人 / Persons involved
影響を受けた人 / Affected Persons
ウィリー・ウィルソン(Willie Wilson)
ジェームズ・マッコイ(James McCoy)
共演者 / Co-star
ウィリー・ブラウン(Willie Brown)
アラン・ウィルソン(Alan Wilson)
影響を与えた人 / The person who influenced
ロバート・ジョンソン(Robert Johnson)
マディ・ウォーターズ(Muddy Waters)