サニー・ボーイ・ウィリアムソンⅡ / Sonny Boy Williamson II

Sonny Boy Williamson II ブルースマン

情報 / Data

出生名アレックス(Alex)またはアレック・フォード(Aleck Ford)(後にAleck Millerとして知られる)
別名「ライス」ミラー、リトルボーイブルー、リトルウィリー、「サニーボーイ」ウィリアムソン
生まれ1912年12月5日、米国 ミシシッピ州グリーンウッドまたはグレンドラ
死亡1965年5月24日(52歳)米国 アーカンソー州ヘレナ
ジャンルブルース
職業ミュージシャン、ソングライター
楽器ボーカル、ハーモニカ
活動期間1930年代半ばから1965年
レーベルトランペット、チェッカー

Wikipediaより

特徴 / Feature

  • 1930年代後半にハーモニカを広めた先駆者
  • 多くのステージネームを持つ
  • ブルースラジオ番組「キング・ビスケット・タイム」にスタートから約24年間出演
  • 背が高く、ビブラートのかかった渋い声。山高帽にハーレクインスーツ、アタッシュケース姿

略歴 / Biography

出生名はアレック・フォード・ミラー(Aleck Ford Miller)だが、色々な名前で演奏活動をしていました。Little Boy Blue、Sonny Boy Miler、Rice Miller、Harmonica Blowin’ Slim、Willie Miller、Alec Millerその中の一つがSonny Boy Williamsonでした。

生年月日は不明瞭で、1897年、1899年、1912年の12月5日、墓石には1908年3月11日となっています。

生まれた場所はミシシッピ州グレンドラ(Glendora, Mississippi)のサラジョーンズプランテーションで母親はミリー・フォード。後に、継父ジム・ミラーの姓をとりました。
マウスハープ(mouth harp)を独学で覚え、10代にはお金を稼ぐために町でハーモニカを吹いていました。

1930年代半ば(20代前半)以降、南東部の州で列車に乗りホーボーをし演奏をしていた。ロバート・ロックウッド・ジュニア(Robert Lockwood Jr.)、いとこのホームシック・ジェイムス(Homesick James)とエルモア・ジェイムス(Elmore James)、ハウリン・ウルフ(Howlin’ Wolf)、ロバート・ジョンソン(Robert Leroy Johnson)などのブルースの偉人たちと演奏をしていました。

1941年(30代前半)アーカンサス州ヘレナ(Helena, Arkansas)のKFFAラジオの番組「キング・ビスケット・タイム」にロバート・ロックウッド・ジュニアと出演し人気を得ました。そこで番組スポンサーがシカゴで有名なハーモニカ奏者ジョン・リー「サニー・ボーイ」ウィリアムソン(John Lee “Sonny Boy” Williamson)の名声を利用し、その名前で売り出し、この南部の地域で成功しました。

1949年(30代後半)アーカンソー州ウエスタンメンフィス(West Memphis, Arkansas)に引越しハウリン・ウルフと一緒に暮らし始めました。その後、ウルフの異母姉妹メイ(Mae)と最初の結婚をし、ウルフにハーモニカを教えました。

1948年にジョン・リーは殺害されましたが、ジョン・リーが生きている間は著作権を恐れてかレコーディングを避けていました。3年後の1951年(40歳位)にミシシッピ州ジャクソン(Jackson, Mississippi)のトランペットレコードで初のレコーディングをしました。(30年代にもレコーディングをしたと言っているようですが記録はありません。)
この間のセッションは歌、演奏、ライティングともにとても成熟したものでした。エルモア・ジェイムスもセッションに参加しています。

1955年(40代前半)トランペットレコードが倒産すると彼のレコーディング契約権は債権者からシカゴ(Chicago)のチェスレコードに売却されました。晴れてチェスのアーティストになりMason-Dixon線より北で永住権を得ることができました。1955年から1964年(50代前半)までチェスの子会社であるチェッカーレコードのために70曲をレコーディングしました。

1960年代初頭、イギリスでブルースブームが起こり、アメリカン・ブルース・フェスティバルへ出演のために何度かヨーロッパへ行きました。1963年(50代前半)に初めてツアーに参加した時、彼はヨーロッパが気に入り、他のツアーアーティストが帰国してもイギリスに留まり、ヤードバーズやアニマルズとレコーディングをしたり、TVに出演しました。

帰国後、1965年(52歳位)にキングビスケットタイムショーでの演奏を再開しました。しかし、5月25日の放送前に心臓発作で亡くなっているのが発見されました。断続的ながら約24年間出演し続けしました。

ミシシッピ州タットワイラー(Tutwiler, Mississippi)郊外ニューアフリカロード(New Africa Road)のホイットフィールド墓地(Whitemans Chapel Cemetery)に埋葬されています。

関係する人 / Persons involved

親戚 / Relatives

ホームシック・ジェイムス

エルモア・ジェイムス

影響を受けた人 / Affected Persons

共演者 / Co-star

ロバート・ロックウッド・ジュニア

エルモア・ジェイムス

ヤードバーズ

影響を与えた人 / The person who influenced

ハウリン・ウルフ(Howlin’ Wolf)

ゆかりの地 / Land related to

①グレンドラ(Glendora, Mississippi)
生まれた場所(有力候補)

②グリーンウッド(Greenwood, Mississippi)
生まれた場所(別の候補)

③ヘレナ(Helena, Arkansas)
「キングビスケットタイム」に出演

④ウエスタン(West Memphis, Arkansas)
ハウリン・ウルフと暮らし、その姉妹と結婚

⑤ジャクソン(Jackson, Mississippi)
トランペットレコードで最初のレコーディング

⑥シカゴ(Chicago)
チェスの子会社であるチェッカーレコードでレコーディング

⑦ロンドン(London)
アメリカン・ブルース・フェスティバルへ出演

⑧ニューアフリカロード(New Africa Road)
埋葬された墓がある

おすすめの曲 / Recommended songs

Help Me (1963)

Don’t Start Me to Talkin’ (1955)

Nine Below Zero (1953)

Bring It on Home (1965)

Eyesight to the Blind (1951)

Bye Bye Bird (1963)

Good Evening Everybody (1973)

https://www.youtube.com/embed/ZDhRnAjHTo4

The Sky is Crying (1963)

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