情報 / Data
出生名 | エラスベイツ |
別名 | エラスベイツマクダニエル、オリジネーター |
生まれ | 1928年12月30日、米国ミシシッピ州マコーム |
死亡 | 2008年6月2日(79歳)米国フロリダ州アーチャー |
ジャンル | リズムアンドブルース、ロックンロール、ブルース |
職業 | 音楽家、ソングライター、レコードプロデューサー |
楽器 | ボーカル、ギター、バイオリン、ドラム |
活動期間 | 1943〜2007年 |
レーベル | チェッカー、チェス、RCA、トリプルX、アトランティック |
特徴 / Feature
- ロックンロールの生みの親のひとりで、別名「創始者」(The Originator)
- ボ・ディドリー・ビート(ジャングル・ビート)とマラカスの呪術的リズム
- グレッチのスクエアギターを愛用し、リバーブやトレモロなどエフェクトでラウドなギターサウンド
- 初めて女性リードギターリストをステージで使う(1stレディー・ボー、2nd公爵夫人)
略歴 / Biography
若年期
1928年12月30日にミシシッピ州マコーム(McComb, Mississippi)でエセル・ウィルソンとユージーン・ベイツの間にエラス・ベイツ(Ellas Bates)として生まれました。
母親ウィルソンは16歳で子供を養えないため、いとこのガッシー・マクダニエルに育ててもらい、最終的に養子となり彼女の苗字を使いエラス・マクダニエル(Ellas McDaniel)と名乗るようになりました。
1934年(5歳)に養父ロバートがなくなったとき、ガッシーは子供達を連れて、シカゴのサウスサイドへ(South Side)引越しました。
ディドリーはシカゴのエベニーザーバプテスト教会(Chicago’s Ebenezer Baptist Church)のアクティブメンバーでトロンボーンとバイオリンを学んだ。バイオリンに精通し音楽ディレクターからオーケストラに誘われ18歳まで演奏をしていました。
しかし、1940年(11歳)に彼の姉妹がクリスマスにギターをプレゼントしてくれたのをきっかけにギターをするようになった。特にジョン・リー・フッカー(John Lee Hooker)の「ブギー・チレン(Boogie Chillen’)」に魅せられたようです。
活動期
その後ディドリーは、建設現場や整備士、時にはボクサーとして働く傍ら、路上で友人と演奏活動を始めました。1943年(14歳)と1944年(15歳)の夏、アール・フッカー(Earl Hooker)(ジョン・リー・フッカーの従弟)とマクスウェル・ストリートの市場(the Maxwell Street market)で演奏をしていしました。
1945年(16歳)ごろジョディー・ウィリアムズ(Jody Williams)、ウォッシュタブ・ベースのルーズベルト・ジャクソン(Roosevelt Jackson)とヒップスター(Hipsters)というトリオバンドをつくり路上演奏をました。後にメンバーに、マラカスプレーヤーのジェローム・グリーン(Jerome Green)、ハーモニカ奏者のビリー・ボーイ・アーノルド(billy boy arnold)らが加わっていき、バンド名もラングレー・アベニュー・ジャイブ・キャッツ(The Langley Avenue Jive Cats)に変わりました。
ディドリーは、注目を集めるためギターを古いラジオや蓄音機の部品を使って電気化したり、貨物列車の音を取り入れるためトイレのゴムボールの浮きの中に黒豆を詰めたマラカスをグリーンに与えたり、タレントショーで知り合ったジョディ・ウィリアムズにギターを教えたり彼独自のものを作っていきました。
クラブで演奏するには若かった彼らはクラブの前で演奏し、金・土曜で15件くらい回りお金を稼ぎました。この頃からボー・ディドリーと呼ばれるようになりました。
1951年(22歳)からディドリー達の運が変わり始めます。
まずその年、シカゴのサウスサイドにある708クラブのレギュラーポジションを獲得します。
レコーディング
そして、1955年(26歳)チェス・レコードと契約を交わし、その子会社のチェッカー・レコードで初のシングル “Bo Diddley”と“I’m a Man”をレコーディングしました。“Bo Diddley”はビルボードのR&Bチャートで1位の大ヒットとなり、マディー・ウォーターは“I’m a Man”のアンサーソングとして“Mannish Boy”をリリースしました。
ヒットシングルは1950年代と1960年代に続きました。「Pretty Thing」「Who Do You Love」(1956)、「Say Man」(1959)、「You Can’t Judge a Book by the Cover」(1962)
1957年(28歳)ディドリーは女性ギターリストのペギー・ジョーンズ(Peggy Jones)(別名:レディー・ボー(Lady Bo))をバンドに加え、当時としては珍しくリードギターリストとしてステージで演奏しました。1962年、彼女の後任にノーマ・ジーン・ウォフォード(Norma-Jean Wofford)(別名:公爵夫人(The Duchess))をバンドに加えました。
1957年か1958年(29歳)、ディドリーはシカゴを離れワシントンDCのロードアイランドアベニューNE(Rhode Island Ave NE, Washington, D.C.)にレコーディングスタジオ付きの自宅を作りました。
1963年(34歳)に初めてイギリスをツアーし、ヤードバーズ、ローリングストーンズなどのヨーロッパの多くのロックバンドに影響を与えました。
晩年期
その後、1971年(42歳)から1978年(49歳)までニューメキシコのロスルナス(Los Lunas, New Mexico)に住み、音楽のキャリアを続けました。1970年代後半、彼はロスルナスを離れ、フロリダ州ホーソーン(Hawthorne, Florida)に移り、そこで彼はカスタムメイドの丸太小屋の広い敷地に住みました。
ディドリーの人生の最後の13年間はフロリダ州アーチャー(Archer, Florida)で過ごしました。2008年6月2日、アーチャーの自宅で心不全で79歳で亡くなりました。
関係する人 / Persons involved
影響を受けた人 / Affected Persons
ジョン・リー・フッカー(John Lee Hooker)
共演者 / Co-star
ジェローム・グリーン(Jerome Green)
ジョディー・ウィリアムズ(Jody Williams)
ペギー・ジョーンズ(Peggy Jones)
ノーマ・ジーン・ウォフォード(Norma-Jean Wofford)
影響を与えた人 / The person who influenced
バディ・ホリー
ジミ・ヘンドリクス
エリック・クラプトン
ローリングストーンズ
ゆかりの地 / Land related to
①マーコム(McComb)
生まれた場所
②シカゴ、サウスサイド(South Side, Chicago)
幼少期引越した場所
③シカゴ・エベニーザー・バプテスト教会(Chicago’s Ebenezer Baptist Church)
音楽を始めた場所
④マクスウェル・ストリート(the Maxwell Street)
路上演奏をした場所
⑤ラングレー・アベニュー(The Langley Avenue)
バンド名由来の場所
⑥ロードアイランドアベニューNE(Rhode Island Ave NE, Washington, D.C.)
ワシントンDCで自宅のあった場所
⑦ロスルナス(Los Lunas, New Mexico)
ニューメキシコに住んでいた時の場所
⑧ホーソーン(Hawthorne, Florida)
フロリダに住んでいた時の場所。丸太小屋の広い敷地。
⑨アーチャー(Archer, Florida)
亡くなった自宅のあった場所