フレディ・キング / Freddie King

Freddie King ブルースマン

情報 / Data

出生名フレッド・キング
生まれ1934年9月3日米国テキサス州ギルマー
死亡1976年12月28日(42歳)米国テキサス州ダラス
墓場スパークマン-ヒルクレスト記念公園墓地、テキサス州ダラス
他の名前フレディ・キング(Freddy King)
配偶者ジェシー・バーネット(1952年)
子供7人
ジャンルブルース
職業音楽家、シンガーソングライター
楽器ギター、ボーカル
活動期間1952〜1976年
レーベルEl-Bee、King、Federal、Atlantic、Shelter、RSO
Wikipediaより

特徴 / Feature

  • エレクトリック・ブルース・ギターの「3大キング」の1人(アルバート・キング、B.B.キング)
  • サムピックと他の指で弦を弾いてエレキギターを弾き、ストラップはたすき掛けせず肩にかける
  • ドライブ感あふれる爆発的なスタイルで「テキサスキャノンボール」の愛称がある
  • テキサスブルースとシカゴブルースに基づく

略歴 / Biography

若年期

1934年9月3日テキサス州アップシャー郡ギルマー(Gilmer, Upshur county, Texas)で父JTクリスチャンと母エラ・メイ・キングの間に生まれました。

フレディが6歳のとき、ギターを弾いていた母親と叔父レオン・キングが彼にギターを弾くよう教え始めました。ライトニン・サム・ホプキンズ(Lightnin’ Hopkins)やサックス奏者のルイ・ジョーダンの曲が好きで演奏をまねていたようです。

活動期

1950年(1949年)、16歳のときに家族と一緒にテキサスからシカゴのサウスサイド(South Side, Chicago)へ引っ越しました。そこで、地元のクラブに忍び込みマディー・ウォーター、ハウリン・ウルフ、Tボーン・ウォーカー等のブルースを聞きました。その後、ハウリン・ウルフ(Howlin’ Wolf)に面倒を見てもらうようになり、マディー・ウォーターのサイドマン達ともジャムをするようにもなりました。昼間は製鉄所で働き夜は音楽活動をする生活でした。

1952年(18歳)頃、フレディ自身のバンド「エブリ・アワー・ブルース・ボーイズ」( Every Hour Blues Boys)(ギタリス:ジミー・リー・ロビンソン、ドラマー:サニー・スコット)を結成しました。1953~’54年、パロットレーベルでSonny Cooper Bandと Early Payton’s Blues Cats のサイドマンとしてレコーディングをしました。

レコーディング

1956年(22歳)El-Beeレーベルよりシングル “Country Boy / That ‘s What You Think”でソロデビューを果たします。ロバート・ロックウッド・ジュニアがサイドマンとして参加しました。

1960年(26歳)シンシナティ(Cincinnati, Ohio)を拠点とするキング/フェドリアルレコードに所属していたピアニストのソニー・トンプソン(Sonny Thompson)と出会いました。翌年フレディもレーベルと契約しトンプソンと作詞作曲を共同でクレジットし多くの曲を製作しました。8月26日に収録した“Have You Ever Loved a Woman”と“Hide Away”は最も人気のある2曲になりました。1961年には“San-Ho-Zay”、“The Stumble”など6つのシングルをR&Bチャートに入れ、1966年までの5年間でインストゥルメンタルを中心に30曲以上を生み出しました。

♫「Hide Away」

フレディがハウンド・ドッグ・テイラーの曲 “Taylor’sBoogie”をアレンジし、シカゴの人気ナイトクラブ「Mel’s Hideaway Lounge」にちなんで名前がつけられたブルース・インストゥルメンタル曲。キングレーベルから2番目にリリースされた“I Love the Woman”のB面に収録され、R&B チャートで 5 位、ブルースとしては異例のポップチャート29位まで達し、エリック・クラプトン、スティーヴィー・レイ・ヴォーンなど多くのミュージシャンにカバーされたブルースクラシック。

晩年期

この頃プライベートでは、シカゴのナイトライフにかなりのめり込んでしまい、6人の子供をもつ妻は実家のテキサスへ戻ってしまいました。焦ったフレディは1963年春にテキサス州ダラス(Dallas, Texas)で再び家族と暮らし始めました。

1971年(37歳)オクラホマ(Tulsa, Oklahoma)を拠点としたピアニストのレオン・ラッセル(Leon Russell)の新レーベル、シェルターレコードと契約をしました。レーベルはフレディのギターと歌をフューチャーしようとしました。重要アーティストとして迎え入れシカゴのチェススタジオでレコーディングを行い「Getting Ready」や「Woman Across the River」などのアルバムをリリースし大ヒットとなりました。 “Goin’ Down”などが含まれています。

エリック・クラプトン(Eric Clapton)とのツアーで意気投合した二人は、1974年(40歳)クラプトンがレコーディングをしていたレーベルRSOレコードと契約し、クラプトンと共同プロデュースで「Burglar」をリリースしました。翌年、イギリス、オーストラリア、ニュージーランドなどを精力的にツアーを続けました。

1976 年、出血性潰瘍などで体調が悪化し始めていたにもかかわらずツアーを続けていました。しかし、クリスマスショー後に倒れ、12月28日テキサス州ダラスで肝炎やその他の合併症により 42 歳で亡くなりました。

ゆかりの地 / Land related to

①テキサス州ギルマー(Gilmer, Texas)
生まれた場所

②シカゴ・サウスサイド(South Side, Chicago)
16歳の時、引っ越した場所

③オハイオ州シンシナティ(Cincinnati, Ohio)
ソニー・トンプソンと活動したフェドリアルレコードの本拠地

④オクラホマ州タルサ(Tulsa, Oklahoma)
シェルターレコードの本拠地

⑤フロリダ州マイアミ(Miami, Florida)
RSOレコードのクライテリアスタジオ(Criteria Recording Studios)

⑥テキサス州ダラス(Dallas, Texas)
最後に定住した場所

⑦スパークマン / ヒルクレスト・フューネラル・ホーム & ヒルクレスト・モーソリアム &記念公園
埋葬されている場所


関係する人 / Persons involved

影響を受けた人 / Affected Persons

ライトニン・サム・ホプキンズ(Lightnin’ Hopkins)

ハウリン・ウルフ(Howlin’ Wolf)

共演者 / Co-star

ソニー・トンプソン(Sonny Thompson)

エリック・クラプトン(Eric Clapton)

影響を与えた人 / The person who influenced

エリック・クラプトン(Eric Clapton)

スティーヴィー・レイ・ヴォーン(Stevie Ray Vaughan)

おすすめの曲 / Recommended songs

Hide Away (1960)

Have You Ever Loved a Woman (1960)

Goin’ Down (1971)

San-Ho-Zay (1961)

Same Old Blues (1971)

The Stumble (1961)

Palace Of The King (1971)

Ain’t Nobody’s Business (1975)

Boggie Funk

error: Content is protected !!
タイトルとURLをコピーしました